万生館合氣道館長 砂泊諴秀(1923~2010)
日本の武道家・合氣道開祖植芝盛平翁の直弟子。
昭和28年(1953年)11月に熊本で行った合氣道の演武会を機に、多くの支援者に支えられ九州合氣道の基盤づくりに勤しむ。昭和36年(1961年)には37歳の若さで植芝盛平翁より合氣道9段を允可される。
自身の道場「万生館」では合氣道開祖植芝盛平翁が遺された精神「合氣とは愛なり」の体現を目標に、武道家としての生涯をその一点に注ぎひたすら歩み続けた。
その苦難の結果、「万生館合氣道の呼吸力」として開祖の説かれた心の世界を独自の形で実現させることに成功した。
愛の技
合氣道開祖植芝盛平翁の説かれるお話は、私のような凡夫には、全く理解出来にくいものであった。
自分が合氣道の技に行き詰まり、己の非力であることを痛感し悟らされた時、この武道を離れるか、
ただ単なる趣味として続けるか、その瀬戸際に立たされたのである。
その状態の中で、何か、この窮地から抜け出す方法はないものかとか、真剣に考えたのである。
従来の、体的な稽古だけでは駄目だと、悟らされたのであるから、方向を変えて、心の世界に目を向けることにしたのである。
その時、まず最初に目に触れた開祖のお言葉は"合氣とは愛なり"の一言であった。 このお言葉は、無限に拡がってゆく大きさと、深さを持っているように思うのである。 これが解決できれば、合氣道の技も、極意に達することが出来るのではないかと考えたのである。 毎日の技の稽古の中で、愛の技の体現とはどのようなことであるのか、そのことのみを考える稽古が続いた。 開祖の数多くのお言葉を、訳も分からずに、心で理解するつもりで読み続けたのであるが、そこで感じたことは、 開祖のお言葉は、表現は違っていても、その言葉の意味するものは、総て、万有愛護の精神であるということであった。
愛とは武道に於いては、敵そのものを無くすることである。無くするための技は、相手と一体になることである。 一体になるためには体力的な技を出して、相手を倒そうとする気持ちを捨てなければならない。 相手と結ぶことである。結ぶためには体力的な馬鹿力を抜かなければならない。 この結論が出たとき、稽古はその一点に集中して行ったのである。 それから幾年か経った時、そこには従来の稽古では全く考えられなかった、愛の技が生まれていたのである。
万生館合氣道の呼吸力の技がそれである。開祖の説かれる心の世界を求めずして、真の合氣道に達する ことは不可能である。 開祖の精神を受ける心が誤った方向に進むとき、自らの人生も、また狂うことであろう。
この霊肉一体の心技こそ、行き詰れる人間の、指標と言えるのではなかろうか。