私が熊本に参りましたのは昭和28年(1953年)の11月の始めでした。私は当時東京新宿の合氣道本部道場に寝起きして修業中でしたが、何かじっとしていられない気が起こり、合氣道の普及は念頭になく、九州に飛んだのでした。私には分からなくても、そこには目に見えない大きな意思によって私が使われたような気が致します。球磨の山中にて亡くなった父の霊か、九州に集まる尚武の地霊であるかも知れない。
終戦時に知り合った熊本駅近くに住む知人を訪ねたのが機縁となり、私を待っていたかの如く、次から次へと縁の意図は切れることなく続いたのでした。
中島好章先生を知ったことが現在の熊本合氣道の隆盛を見た最大の原因であったことを痛感するとき、九州の合氣道人は勿論のこと、世を憂うる人々は深く先生に対して感謝の念を持つべきでありましょう。
金銭物質だけで道が確立されるものであるならば、世の中は常に平和そのものであろうが、矢張り道を尊びそれを行い運ぶ勇気と忍耐のある人でなければ道を確立することはできますまい。
中島先生の心を知りそれに惜しみない援助を賜った同志的結合の人々のあったことが益々動かない土台を造ったものといえましょう。未熟な私もこれまで風浪の中にもまれて小粒ながらでも少しは合氣道が分かって来たように思えます。道場の門をくぐり、去来した人数は数千人を数え、これ等の人々の魂の中に合氣道の精神が住する時、世の中は一歩ずつでも明るく前進することでありましょう。終戦時昭和23年(1948年)に、武から道へと脱皮して歩み続けた合氣道は、植芝盛平開祖の悟られた「合氣は愛なり」の精神をそのままに今や全世界の人々に注目されております。
短期間にこれ程の速さで伝わった武道は今だかつてないことと思います。合氣道はこれからの世界の心を築く武道として、精神界の中心となって行くであろうことを確認し、ますます自己完成に向かって精進努力せねばならないことを肝に銘じて進みたいと思います。これまで陰に陽に私を支援して下さいました多くの人々に対しまして心からの御礼を申し上げます。
熊本初発の合氣道場を提供されて、斯道発展に御尽力下しました高田奏氏、新道場建設の委員長としまして、また、私個人の食住の一切を無償でお世話下さいました木庭春明氏の両先生に深く感謝の念を捧げます。
中島好章会長をはじめと致しまして、田辺喬氏、工藤誠一氏、小川糺氏、児玉亀太郎氏、宇治寿雄氏、北原一穂氏、津下正章氏、森山紹宣氏、中島進氏、岩下一雄氏、内田清玄氏、高島久雄氏、出口繁男氏、以上の方々に誌上をもちまして感謝の意を表します。