万生館合氣道の誕生

合氣道が熊本で初めて一般に公開されたのは、熊本が大水害に見舞われて未だ傷跡がそこここに残っている昭和28年(1953年)の11月、手取本町の振武館における、現万生館長砂泊諴秀師範の演武によってである。当時先生は講習会を開くのが目的の様であり、特に熊本に合氣道を普及させるという意思はなかったようであったが、中島好章会長や、他の方々の熱心な要請により、翌年の1月、九品寺町のアンキロ製薬という会社の一隅を借りて、借り道場とし、熊本合氣会なるものを発足させた。これが万生館合氣道の誕生となり今日に至っているのである。

過ぎ去り昔を振り返ってみるというと、先生以外は全然合氣道を知らないものばかり、また知っていても戦前東京の道場で稽古したという人がいる位で先輩も後輩もなく、皆同期ということでスタートラインに立ち、毎日驚異の目をもって朝夕の稽古に励んだと記憶している。今日、合氣道がこのような発展を遂げているが、これは実に長い苦難の道程であって、熊本に合氣道を育てようとして、その基礎作りに苦労された方々の苦労があってこそ、初めて語ることが出来るというものである。これらの人々を忘れてはならない。

合氣道の云々については、その道の専門家にお願いするとして、その当時の稽古風景の一端を披露してみたいと思う。
先生の素晴らしい体捌き、技の見事さに見入っていると、いざ相手と組んで始めようとすると、足の運びが止まる。体の力を抜いて相手の動きについて行きなさいと指導されると、ますます硬くなる。何しろ初めての体験、簡単に受け身をするには何か抵抗を感じる。どうしても頑張らないと武道とは思っていない、お互いにこんな状態であるから、先生の指導も多忙をきわめる。ますます、興味がわく頃には稽古時間がなくなっている。残って稽古をしたいが、借り道場であるしそういうわけにもいかない。又製薬会社の繁忙時には道場が使えなくなるので、中島好章会長を始め役員の方々が稽古場探しに奔走される。朝と夕方では場所が違って来る、朝の稽古が出来ても夕方の稽古がないことが度々あった。今のNHKがある旧階行社とか、振武館は随分使用させて戴いたものである。このような経過を辿り多くの方々の行為によって、ようやく昭和30年(1955年)の10月に万生館合氣道の専門道場が建設されたのである。

現在多くの有段者を擁し、このような隆盛を見るに至った所以は、偏に開祖植芝盛平翁の真意を汲取り、その真髄を求めて精進して止まない、砂泊師範の立派な人格と熱心な指導の賜物であると言っても言い過ぎではない。

昭和29 年1 月15 日入門
万生館合氣道七段 糸川 齊

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