人としてこの世に生を受けた以上は、人としての向上がなければならない。
死ぬことが決められた宿命である以上は、死ぬまでにそれがどこまで人としての悟りを開いたかが問題なのである。
人々は何を通してそれを向上させるのであろうか。宗教か、教育か、科学か、それぞれの人々が選ぶことである。
合氣道と縁が出来た人は、合氣道を通して自分を向上させようと考えていると思うのであるが、
合氣道の練習を通して自分を向上させることが出来ない人は、人生の時間の無駄であるから、即刻、合氣道を止めて他に道を求めるべきである。
人生は頭で考えるべきではない。行動を通して悟るべきであり、道を体現できるものでなければ、いくら大言壮語をしたところで、
一文の価値もない空論にすぎないのである。
合氣道開祖植芝盛平翁は、合氣道の目標が何であるかをはっきりと言い遺しておられるのであるから、
合氣道を稽古する者はこの精神を熟読し、その精神に向かって業を積むべきであろう。