「孝行のしたい時分に親はなし、石に蒲団は着せられぬ。」という諺がある。
この言葉は生みの親との関係だけでなく、師弟の間にも言える言葉のように思われる。
師の生存中に教えられたことが全く理解出来なかったのに、師がこの世を去って久しく、自分が長じてから、
どうやらその真意が理解出来るようになるということである。過ぎ去った日々に、直接教えを受けながら、それを馬耳東風と聞き流していたことが、
その時になって、悔やまれてならないのである。
開祖のお言葉の中に「世界の人類はすべて兄弟となり愛の紐線をもて繋いでゆかねばなりません。あらゆる芸術もこの和合のためにやっている仕事であります。私達日本人は、本当の日本の精神を世界に知らさなければならぬのであります。小さな考えで同志などといわず、一軒の家の如く皆が助けたり助けられたりしてゆかねばなりません。」また「合氣道についての目標は、この世の中を楽しくする、世界を造ることである。"美わしきこの天地の御姿は、主の造りし一家なりけり"本当に立派なうるわしい世界は、すでに立派に出来上がっている。我々は人として、この地上に本当の楽しい世界建設をしなければならないのである。つまり争いのない平和な国にしなければならない。それがために我々は合氣道というものをやっている。合氣道というものは、万有万真の条理を明示する理法である。」
開祖のお言葉は総て、この地上に楽園楽土を築くことを説いておられるのである。その業として合氣道があると言われるのである。合氣道がこの地上に、平和な楽土を建設する業であるならば、その道は万人が納得するものでなければならない。
開祖が御在世中、私に対してお話をされた。「この武道(合氣道)は、どんなに大きなことを言っても言い尽くせないし、どんなに大きなことを書いても書き尽くせないのだ。」と。つまり合氣道の技の素晴らしさ、その妙は、筆舌に尽くせない大きなものであり、深いものであると言われたのであろうが、まだ未熟な凡夫の私に、師の御心境が理解出来るはずはなかったのである。
あれから40年、開祖の言い尽くし得ないという、そのお言葉の真実を求めて、熟読し反芻して来て、ここにどうやら、これではないかと思い、開祖の御心境一端に触れた感じを深くしたのである。
合氣道に興味を持ち、その道に志す者にとって、最も大事なことは、まず開祖の遺訓を熟読探求し、開祖の志向された目標を覚えることであろう。そのことによって、自らその目標を体現として、真の合氣道の技に向い、それに近づくことが出来ると思うのである。